「2019アイディタロッド」に向けて

‘私をもう一度、アイディタロッドのスタートラインに立たせてください。私達のチームと一緒にハラハラドキドキ楽しみながらゴールを目指しましょう。‘

 

 アイディタロッドレースのゴールが2018.3.15、今日は2018.4.15。レースのゴールからあっという間に1ヶ月が過ぎました。ウィローの自宅に帰り、すぐにフェアバンクスへ行き、3週間ほどオーロラツアーガイドの仕事。

 今やっと一息ついて、1ヶ月ほど前に終えたレースの意味と、これからの私の生き方について真剣に考える時間ができました。レース出場の決断をしてからの3年間は、アイディタロッドという大レースに出場し「少しでも良い順位でゴールする」この事ことだけを考えて来ました。

 

 それは、10年以上前に短距離レースを退いて以来ずっと胸の奥でくすぶっていた「自分は犬ぞりレーサーとして競争することが生きがいである」という私の魂にケリをつけるためです。 そう、今まで私にとってのアイディタロッドレースとは、犬を育て訓練し、その犬達の引くソリを少しでも早くゴールに導く技術を競う世界一の長距離犬ぞりレースだったのです。 

 

 2018アイディタロッドレースは、67人がウィローをスタート、そのうちノームの最終ゴールに辿り着いたのが52人。そして私がノームの最終ゴールに辿り着いたのは、23番目でした。 レーサーにとって順位が全てです。もし私がこのレースを最後に犬ぞりレースを辞めれば、この先アイディタロッドレース23位という看板をアイデンティティにして生きて行く事になるでしょう。「オレは完走したんだ、それも23位で」と言った具合です。レース出場前の私は、そんな感じの人間でした。

 今どうなのか?というと簡単には説明できないので、私のレース体験を書くことにします(笑)。

【2018アイディタロッド】

 スタートラインに立つと、何故か判りませんが涙が出て止まりませんでした。おそらく犬ぞりレーサーとして大レースのスタートに再び立てた事が嬉しかったんだと思います。

 夕方16:00、16頭の犬達と私はウィローをスタート。しかし、その感動は辺り一面人も家も無い白い雪原に夕闇が迫る頃には、まったく余裕が無かった私の頭からは、完全に消えていました。たび重なる 山脈越え、凍てつくユーコン川、タイガ、ツンドラ、強風のベーリング海が私達を待ち受けます。

 

 トレール(山道)は終始曲がりくねり、急な登りと下り坂。16頭の犬達は元気が有り余って私の言う事を聞かずに飛ばします。何はともあれ一瞬一瞬を必死に彼らは生きて(走って)行くのです。

 チェックポイントでは、まず犬達の餌と彼らが快適に休める状況を少しでも早く作る事を考え、自分の食事や睡眠は二の次です。 アラスカ山脈を超えてからは、積雪量が多く、随所で犬が雪に埋もれてしまうような吹雪の雪原を走ります。時には、寝不足のせいで目の前に幻影が…。よく見るとユーコン川の崖っぷちで冷やっとしたり、自分は「なんでこんな過酷な事をワザワザやってるのだろうか」と思ったりもしました。そして、極めつけが凍ったベーリング海で道に迷ったこと。

 夜中じゅう僕たちは走り朝方のまだ暗い7:30分、ホワイトアウト状態で10メートルほど先を走る自分の犬ぞりの先頭犬が見えなくなるような吹雪。気付くとトレール(山道)のマーカーが無い。犬達を止め右を探しても左を探してもマーカーが見当たらない。マーカー探しに夢中になり犬ぞりの場所を見失いそうになる始末。俺は一体どうなるんだろう?頭の中に嫌な声が聞こえてくる…。

 「そうだよな、やっぱりオレにはツキがないんだよな〜…。」

 「なんとか20位くらいに付けていたのに…。」

 「ここで救助をよんでリタイア……?」

 「オレのレースはここでおわりなのか……?」

 そんな思いが何度頭をよぎったことか。9頭の犬達と8時間も凍った海の上で1人ぼっちの自問自答。これで22位から25位まで順位を落としてしまいます。夕方16:30開けて来た吹雪の雪原のに、後続のレーサーが300m先に現れて来ました。

 寝ている犬達を掻き立てて、やっと現れたレーサーを見失わないように必死に後を追う。 そこから何とか順位を上げるために巻き返しを図ります。犬達の疲れの状態を見ながら休憩時間も短めにし、ゴールまでラストスパートをかけます。

 

 最後のチェックポイント20マイル手前で、最後の追い上げで力を発揮してもらおうと思っていた、先頭から2番目のリーダー犬が体の不調なのか、走れなくなってしまいます。ドッグバックの中に収納後、チームの失速が始まり、どんどんタイムを落としていきます。最後のセイフティというチェックポイントでそのリーダー犬を休ませ、そこから8頭でゴールを目指しますが、遭難時の疲れが出てるのか犬達の配置を変えてもスピードは落ちて来たが、何とかゴールまで辿り着きました。

 

 こうして私は犬達と過酷な10日間を過ごし、ノームのゴールに23番目で辿り着いたのでした。 初挑戦の私には、とんでもないとしか言いようのない過酷な10日間でした。でもゴールした後、私も犬達も、キツかった時間が嘘のような、充実感と解放感に酔いしれました。

 私だけではなく、犬達もキラキラ目を輝かせ、私達は同じ目標に同じ気持ちで向かってたんだと、感じる事の出来た瞬間です。同じ動物ではないのに、群れとして同じゴールを目標に向かって行けるなんて、素晴らしくないですか? 私は今までのレースよりも深い感動を覚えました。

 

 その後知ったのですが、今回応援してくださった方々のなかに、大会で各チームに用意されたトラッカー(GPS)を不眠で見守って、他のチームとの駆け引きや競い合いをハラハラドキドキしながら、あたかも自分がレースしているかのように共有し楽しんで下さっていた方々が多かったと聞きました。日本時間の真夜中でも、私達のチームの行方を追って一緒に戦ってくださったことに感謝し、2019年はもっともっとたくさんの人達とこの時間を共有し、一緒にレースに参加していただきたいと思います。 終

Race history

1990年代、かつて日本にシベリアンハスキーブームが到来する頃、私は一戸建てログハウスを建て、夢であった自分の土地を持ち、ペットとしてシベリアンハスキーを購入し、20代後半から犬ぞりをはじめ、徐々に開花し日本のトップとなりました。

1994年、6頭引きのレース参戦含め、アラスカで開催されるオープンノースアメリカン世界チャンピオンシップ(以下OONAC)見学に来て、その規模、運営方法に興奮。夢は世界へと変わっていきました。

その後、スポンサーからの世界レース参戦の要望と支援もあり、世界4大最高峰レースが開催されるアラスカに参戦することになります。

当時、日本犬ぞり協会の会長に日本IOC協会のトップの堂垣内氏が就任し、犬ぞりを公開競技、もしくは正式競技にしようと、北海道最大シェアを誇る北海道新聞も犬ぞりレースを盛り上げようと動き始めるといういう人気ぶりでした。

他のメディアにもたくさん取り上げられ、日本中にシベリアンブーム到来した訳です。

■初めてのONAC挑戦

1997年、前哨戦の2レースほどアラスカのレース参戦、地元新聞にも「3位入賞、彼は英語もしゃべることができず、顔はインディアンそっくりだけれどもアザバスカン(地元インディアンの名称)しゃべれない男が上位入選した」と紹介されました。

その後フェアバンクスで開催されるゴールドラン10頭引きレースでも2位入賞。夢のONACに初挑戦となる訳です。
それは、心臓が口から出てくるような緊張の中、そして涙が自然と流れ出すような感激の参戦でした。

結果は6位入賞し、ルーキーオブザイヤー賞をいただきました。

マスコミにも犬ぞり発展途上国の誰も知らない犬ぞりレーサーの快挙と紹介されています。

■2度目のONAC挑戦

翌年、1998年、犬ぞりスピードレース世界最高峰、「ノースアメリカンチャンピオンシップ」優勝。

3日間レースで徐々に上位にくらいつき、最終日に大逆転で地元の英雄を8秒差で破り優勝しました。
その後、その功績を称えられ、新田次郎アラスカ物語に登場する故フランク安田氏、故植村直己氏に次ぐ3人目としてアラスカ州から表彰を受け、ゴルフの岡本綾子さんに続く2人目にアメリカ永住権を手に入れ、自他共に認めるスピード犬ぞり界の第一人者になりました。

■犬ぞりには大きく分け3レースあります

50kmを疾風のごとく走り抜けるスピードレース、500kmくらいまでの中距離レース、1,600kmを10日間で走り抜ける長距離レース。簡単にいうと距離が長くなる割合でレースの種類が変わっていきます。

人間のレースで例えると100mー400mのスプリントレース、20キロ中距離レース、42.192kmのマラソンという感じでしょうか。カーレースで言うと、F1レースがスプリントレース、ラリーレースが中距離、パリダカールレースが長距離レースという感じかもしれません。
 

1999年、日本での札幌市公務員生活にピリオドを打ち、アラスカに移住し、18年が経とうとしています。アラスカに犬ぞり牧場を経営し、多い時期は子犬を入れ80頭ほどの犬たちと共同生活をしていました。しかし、金銭的にも厳しいものがありました。常にレースで上位をキープしていましたが、2007年あたりから諸条件により犬牧場の経営も厳しくなり、レースでの2度の左足首・膝のじん帯断裂を経験し、スピードレース競技が続行不可能となり、2013年、一緒に闘ってきた犬達もすべてを売却、一時廃業となります。理由は、その後の右ひざ靭帯裂傷と、もう一度やり直すためには資金調達が必要だったからです。しかも、犬たちはスピードレースと長距離では違うタイプの種類なのです。

この3年間で、もう一度自分の人生を振り返る時間も作れました。

何のためにここアラスカに来たのか?何のためにここに住んでいるのか?自問自答する時間が多くなりました。

競技生活から離れ、ネイチャーガイドとして働き、アラスカの大自然と向き合いながら過ごした日々の中で、常に心に思っていたことは、「いつかまた犬たちと走りたい」ということでした。

そしてスピードレースは頂点に一度立った訳ですから、今度は1,600km走破の長距離レースに挑戦してみたいと改めて思うようになりました。

アイディタロッド長距離世界レースには、アラスカの歴史的背景があります。

1925年、ノームの町にジフテリア患者が発生し、30万ユニットの血清を輸送するため20の犬ゾリ・チームがリレーして、フェアバンクス近くのネナナの町から127時間でノームに到着、数百人の命を救っています。この功績を讃え、また飛行機やスノーモービルの発達で犬ゾリが使われなくなったことを惜しみ、1973年から毎年、アイディタロッド道を走る世界最難、最長レース「アイディタロッド・犬ゾリ国際長距離レース Iditarod Sled Dog Race」が開催されるようになったのです。

アラスカ、アンカレジから北極圏のノームまで、全長1,688km(2コースあり、北回りは1,840km)を、3月マッシャー(犬ゾリ使い)と犬達16頭で走り抜けます。

いつも間にか年月が過ぎていました。

肉体的にも精神的にも多少衰えているでしょうが、1年前からランニングや筋力トレーニングも初めています。

まだまだ世界に通じる体力と強い心は持ち続けいているつもりです。

犬ゾリ競技への諦めきれない想いを、今回の夢の実現プロジェクトに向けて後押ししてくれる仲間もできました。

 

犬ぞり人生再挑戦の大きなレースに出場させてください。

夢実現のため、スポンサーシップを募っております。よろしくお願いいたします。

 2019年1月   クニック200マイルレース Knik 200

 2019年1月   カッパーベイスン300  CooperBasin 300

 2019年2月   ウイロー300     Willow300

今シーズンの前哨戦は、この3戦の中から、雪や天気のコンディションを考えながら出場します。

 

 

 

 

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